国と国が地続きのヨーロッパなどと比べて、島国の日本では、日ごろ、
「国境」を意識することが少ない。2017年夏から「日本の国境に行こ
う!!」キャンペーンが展開され、旅の一つの形になりそうだ。その背景
は、4月に施行された「有人国境離島法」という法律だ。全国8都府県の
71島が、特定有人国境離島に指定され、国と関係自治体が“島の振興”に
取り組んでいる。11月6日から9日まで、FDA(フジドリームエアライ
ンズ)のチャーター機で、アイランドホッピングツアーが実施された。駆け
足だったが、対馬、種子島、福江島(五島列島)を巡った。国境は、国と国
を隔てる壁ではなく「出会いの場」であってほしいと強く感じた。
◇
「昔、鉄砲、今、ロケット」の種子島。その鉄砲伝来は、室町時代の1543年とい
われている。島の最南端、門倉岬に「明国」の船が漂着、約100人が半年間、島に
滞在することに。乗っていたポルトガル商人が、日本にはなかった鉄砲を持ってい
たのだ。種子島14代当主の時堯(ときたか)は、鉄砲2丁を2000両(現在の数億
円)で購入した。1丁は室町幕府の将軍、足利義春に献上する。
種子島は砂金が豊富で、岐阜県の関の刀匠が移り住んでいた。時堯は、その
一人、矢板金兵衛に入手した鉄砲と同じものを作るように命じた。「鉄砲伝
来の唄」の一節に「八板金兵衛 男なり 愛しき娘 若狭姫 火筒の秘宝知
りたさに 異国にやりし けなげなり」と。ポルトガル人に嫁いだ娘が、や
がて、鉄砲作りの技術を父に伝えたという。鉄砲の歴史は、種子島開発総合
センター(鉄砲館)で詳しく知ることができる。
今回の旅で、種子島空に着いたとき、鉄砲の試射の出迎えを受けた。火薬
に火がつくと、予想以上の音と煙に驚いた。もっと驚いたのは、長篠の戦
い(1575年)の武田勝頼軍だろう。織田信長と徳川家康の連合軍は、一
説に3000丁もの「種子島」を用意し、勝頼の騎馬軍団を一蹴する。鉄砲は
戦(いくさ)そのものを変えてしまったのだ。
それから約400年後の1969(昭和44)年、「世界一美しいロケット発射場」
といわれる種子島宇宙センターが開設された。現在、H‐Ⅱロケット7号機の
実物が展示されている。実は、先に打ち上げた8号機が失敗したため、新機
種の開発が始まり、7号機は打ち上げられることなく、展示されることになっ
た。全長約50メートル、直径4メートル。エンジンを外し、第1段、第2段を切
り離しているが、迫力満点。屋外には、全体模型が横たわっている。
宇宙センター内の宇宙科学技術館では、各種展示や、ロケット打ち上げの
映像も見られる。毛利衛さん、向井千秋さんら宇宙飛行士の手形レリーフも
あった。センターで作業をするときの合言葉は「ご安全に」だそうだ。“ロケット
の町“の住民たちも、ときに「ご安全に」というあいさつを交わす。遠い宇宙が
身近にある。
(写真は上から、種子島空港での歓迎、種子島の試射、門倉岬のポルトガル
海軍の記念碑、H-Ⅱロケット7号機)
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