2017年8月31日木曜日

(159)里山に道を拓く <その 拾壱・長月>


 青春の頃、里山から東京の学校を振り出しに、就職して出稼ぎとなった。今から20数
 
年前の新聞社のデスクの頃、一枚のハガキが配られた。
 
 
「私はニューヨークに赴任しています、成田に戻る機内で貴紙を見て、著名な雑誌THE
 
NEW YORKERのシンボルが広告紙面にあり驚きました。気になります」。直ちに事の成り行
 
きの調査を促し、短期間に報告書を作った。折しも、音羽の某週刊誌が数回に渡って〇〇
 
新聞叩きの真っ最中!、「大新聞○○は、弱小プロダクションいじめ。無能なkデスク」と
 
内部資料を元に数ページの告発。

 
 同じ釜飯の大スクープに酔う記者の晩年の仕業、内部資料の横流しかと思うと唇さみ
 
し。泉下の輩に合掌。

 
 俺はね、通勤電車の前列には立たないよ(ヤラレルカラ)。自慢げに聞こえた。

 
 里山では、代が変わると土地が細るという。ヨソ様の竹やぶを切り広げ杉苗を植えてい
 
く。家の裏山の裾を削って広くする。人目のつかない所で、この地では「地クジリ」とい
 
う。

                                   

    煙突ウガ高イイノデ サゾヤオ月サン 煙タアカロ サノヨイヨイ

    あさ 朝顔の厠で 子には耐えられない宴の臭

    盃を交わし 売ったヤツ そんなに怯えていたのか

    母が言ってたな 都会は生き馬の目を抜く と

                           (会員 片岡一郎)
 
 
 

 

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