青春の頃、里山から東京の学校を振り出しに、就職して出稼ぎとなった。今から20数
年前の新聞社のデスクの頃、一枚のハガキが配られた。
NEW YORKERのシンボルが広告紙面にあり驚きました。気になります」。直ちに事の成り行
きの調査を促し、短期間に報告書を作った。折しも、音羽の某週刊誌が数回に渡って〇〇
新聞叩きの真っ最中!、「大新聞○○は、弱小プロダクションいじめ。無能なkデスク」と
内部資料を元に数ページの告発。
同じ釜飯の大スクープに酔う記者の晩年の仕業、内部資料の横流しかと思うと唇さみ
し。泉下の輩に合掌。
俺はね、通勤電車の前列には立たないよ(ヤラレルカラ)。自慢げに聞こえた。
里山では、代が変わると土地が細るという。ヨソ様の竹やぶを切り広げ杉苗を植えてい
く。家の裏山の裾を削って広くする。人目のつかない所で、この地では「地クジリ」とい
う。
煙突ウガ高イイノデ サゾヤオ月サン 煙タアカロ サノヨイヨイ
あさ 朝顔の厠で 子には耐えられない宴の臭
盃を交わし 売ったヤツ そんなに怯えていたのか
母が言ってたな 都会は生き馬の目を抜く と
(会員 片岡一郎)