2016年12月29日木曜日

(60)台北市内:迪化街(ディ-ホァ-チエ)

 
 漢方薬と乾物問屋街が細い通りにひしめく、活気にあふれた商店街が「迪化街」。台湾全土から乾物、漢方薬、お茶、布などを扱う商店が集結し、台湾の主要な商業エリアとなったそうです。美しいバロック建築の建物が残っているので、観光客が撮影に来ます。

ガイドさんがいると、ガンに効く薬や「 ? 」に効く薬を調合してくれる漢方薬店も多い。「カラスミ」は通常の半額あたり、干しシイタケや落花生、ドライベジタブルを土産に買えます。お勧めの場所です。

新しく誕生した「松山新店線:北門駅」から徒歩数分で行けるようになって、便利です。  (会員 西條 繁)      (写真は、各種穀物、街の風景、ビスタチオ)
 
 



 
 

2016年12月28日水曜日

(59)なばなの里イルミネーション

 三重県長島温泉にほど近い場所にあるなばなの里は国内最大級を誇るイルミネーションである。予想を遥かに超える大パノラマに世界四大陸(アメリカ大陸、南極大陸、アフリカ大陸、ユーラシア大陸)の絶景、そして日本を代表する景色である。

 

棚田の美しさが見事に「光」で表現されています。他にも、水上イルミネーション、光のトンネル、光の雲海、樹木のライトアップなど感動の光の祭典です。2017年5月7日まで続きます。  (会員 野嶋美鈴)。

 (写真 水上イルミネーション、アフリカ大陸、光のトンネル)
 
 
 

2016年12月26日月曜日

(58)とっておき 京に雪(5)相国寺 方丈

 2016年 今年も 何もなかったかのように暮れて行こうとしています。さて 何を一年してきたのかと ふと立ち止まる瞬間に、もう少し時間を費やさねばと思う 今日この頃。そんなことを思いながら、今年もあと六日。何か心に残るものをと、心だけが 騒いでいるのですが・・・・。。

 京都の雪のご紹介。年末最後の贈り物は 相国寺の方丈に出かけましょう。降りしきる 昼間の雪は 本当に 珍しいことなのです。この日 相国寺は 多くの参拝者が訪れられていた。方丈の北側にある あの渓谷を思わすお庭の美しさが 雪によって 何倍にも装われて、心洗われる時間を持つことが出来た時のことを 思い出しています。

大きな伽藍に降り積もる穢れのない雪に 心奪われたあの時の感動の様子を、皆様の心に お届けできるのでしょうか???。        (会員 池田能久)
 


 

2016年12月25日日曜日

(57)大丹波観光・ぶらり丹波路

 丹波の冬は、民話にまつわる地域のお祭りがいろいろあります。1月8日、丹波市の大歳神社では「蛇ない」があります。昔、増水した佐治川に取り残された子供を大蛇が助けたそうです。地域の人々は毎年、新しい稲わらで、大小2体の大蛇を作り、集落を巡回して無病息災、五穀豊穣を祈ります。

 2月3日は、篠山市の「王地山まけきらい稲荷」で、節分大祭星祭りです。江戸時代、篠山の殿様・青山公は大の負けず嫌い。ところが、おかかえの力士が弱い。あるとき、強い力士が現れて、青山公は大喜び。その力士に


褒美を渡そうと思ったら、フッといなくなりました。「まけきらい稲荷」の仕業だったのかも? 今では、受験生の参拝が多く、祭りの日は「まけきらいうどん」が振る舞われます。

 2月11日は、丹波市の常勝寺で「鬼こそ 追儺式」があります。鬼が力強い足取りで本堂を一周し、松明を投げます。   (会員 井上年央)

2016年12月24日土曜日

(56)大丹波観光・綾部市の冬の三大祭

 綾部市の冬の三大祭が近づいてきました。「あやべ初えびす大祭」は、綾部恵比須神社で、1月9日に宵えびす、10日が本えびすです。宵えびすでは、七福神が乗り込んだ宝船型の「えびす丸」が、市街地を巡行します。

 神道系の宗教法人の「大本(おおもと)節分大祭」は、2月3、4日に、長生殿で営まれます。3日夜には、紙でつくった人型・型代を、綾部大橋から由良川に流し、その風景は神秘的です。

 「綾部厄除大祭」は、2月17、18日に、厄除神社で行われます。丹波地方全域から参拝者が訪れ、露店屋台も多く出て、

 
にぎわいます。17日は宵宮、18日が朝から本宮です。

 問い合わせは綾部市観光協会、電話0773(42)9550です。  (会員 井上年央) 

2016年12月23日金曜日

(55)大丹波観光・丹波市は「ぜんざいの町」

 丹波市の、特に春日地域は、「丹波大納言小豆」発祥の地だそうです。立派な石碑もあります。それで、「ぜんざいの町」を名乗っていますが、市内では、11月3日から2017年1月15日まで、ぜんざいフェアを展開しています。

 フェアのパンフレットを見ると、さまざまな「ぜんざい」を出す36店舗が紹介されています。人口約6万8000人の丹波市で、36店舗は確かに多いように思いますね。パンフレットには「ぜんざいの常識を超える 多彩なラインアップ」とあります。

 大納言小豆の名称は、大納言の高い身分のだと、殿中で刀を抜いても切腹しない、というところから、煮ても腹の割れない上質の小豆を「大納言」と言ったらしいです。現在、小豆の主産地は北海道ですが、生産量自体は極めて少ない丹波大納言小豆のぜんざいを、是非食べてみたいですね。  (会員 井上年央)

(54)「皆が好き あぶり餅に 雪」 by 今宮神社

 朝の静けさに 雪だと気付き、暗いうちから 家を出た。今日の京は 大晦日、こんな日なのに昨晩から冷え込んだ京都にはサラサラの雪が。こんな日は 絶対素敵な写真が・・・・。もう6年前の大晦日。じっとしていられない、僕なのでした。雪の中を歩くこと15分、今宮神社へ。流石に早朝の境内には、人影もなく 静かに 雪が・・・・。激しく降る雪に身を任すと、そこに広がる雪景色の中に吸い込まれてしまいそう。いつもの今宮さんとは、全然違う。

この今宮神社の門前のお店には、一千年の歴史を持つ、皆様が大好き「あぶり餅」のお店が北と南に 二軒たつ。このあぶり餅の味は、一回食すと 京の白味噌の甘い匂いと味が忘れられなくなってしまう事うけあいです。 竹串に刺された今宮さん独特の炭火で焼かれた 団子のような 京の素敵な甘さの西京味噌味鯵のたれが とっぷりかけられたお餅なのです・・・・。

あの「あぶり餅」の味が思い出される今回の雪景色、クリスマスプレゼントとして お送りします。  (会員 池田能久)
 
 


 

2016年12月22日木曜日

(53)大丹波観光・亀岡市の「夢ナリエ」

 大丹波観光の多くの催しが展開されていますが、亀岡市では、谷性寺(こくしょうじ)門前の「ききょうの里」で、「夢ナリエ」が開かれています。

 12月25日までの午後6時半から9時半まで、イルミネーションが輝き、子どもたちが夢を描いた絵行灯も並びます。入場は、中学生以上、協力金として500円。

 会場の谷性寺は明智光秀ゆかりの寺で、別名を光秀寺。光秀の家紋が「ききょう」で、毎年、寺周辺にキキョウの花が咲き誇る時期は、光秀ファンが多く訪れることでも有名です。「夢ナリエ」の問い合わせは、JR亀岡駅観光案内所 0771(22)0691    (会員 井上年央)




2016年12月21日水曜日

(52)2017年も元気な「大丹波観光」

 兵庫県東部と京都府中西部の地域は、明治時代の廃藩置県までは「丹波国」という一つのエリアでした。今でも、兵庫県に丹波市が、京都府には京丹波町という自治体があるように、“丹波ブランド”は根強く生きています。平成22年7月29日、京都、兵庫の府県境を越えて、大丹波連携推進協議会が設立されました。

 観光面で、兵庫県は篠山市、丹波市、京都府は福知山市、綾部市、亀岡市、南丹市、京丹波町の6市1町などが連携し、大丹波観光推進委員会があります。

 私も京都新聞記者時代から、丹波の風土、歴史、食に興味があり、大丹波観光サポーターに応募しました。連絡先になっている兵庫県丹波県民局地域振興課(丹波市柏原)から、今冬の観光パンフレットが送られてきました。

 12月1日から平成29年1月31日まで「旅丹 フォトコンテスト(秋冬編)」公募中です。内容は「旅丹」で検索できます。

この旅ペン関西部ブログで、大丹波観光の一部を順次、紹介しましょう。

(会員 井上年央)
 

 

2016年12月18日日曜日

(51)神戸と京都で2つの「150年」展開

 今年も残り2週間足らずで新年・2017(平成29)年を迎えます。神戸と京都で、あれから150年を視点に、それぞれ催しが展開されます。今、時代は「モノからコトへ」。来年は、歴史を旅する「コト」を楽しもう、と思う今日この頃です。






 明治元年となった1868年1月1日、神戸港が開港しました。神戸開港150年記念事業実行委員会のパンフレットを見ますと、港から日本へ入った「モノ、コト」は多く、ジャズ、コーヒー、レモネード、バナナ、映画、ケーキ、ゴルフ…。神戸市では2017年に、記念式典(5月)や、数々の記念事業イベントが予定されています。

 江戸幕府から明治新政府へ、日本の大転換となった「大政奉還」は1867年11月9日でした。その大舞台となった京都市では、大政奉還150年のロゴマークもできて、12月から3月にかけて、記念イベントを展開中です。身近なところでは、地下鉄の駅発ウォーク行事があります。詳しくは、「京都ぐるり」ホームページで。   (会員 井上年央)

 

2016年12月16日金曜日

(50)とっておき 京に雪(4) 相国寺塔頭の大光明寺


 「京に雪」 このフレーズは 京を雪がおおい そして 見事に化粧してくれるその情景を 心の奥で感じることが出来き いつまでも消えることのない感動を 我々に与えてくれる。

モノトーンの京の雪景色の美しさは、皆がため息し そして心安らぐひとときをもたらしてくれる最高の媚薬でもあるのです。

昨年の冬も何度かのどか雪が有り、同志社大学の北に腰を下ろす寺「相国寺」も 美しく雪に輝く日が二度ばかりありました。皆さんご存知ですか 素敵な相国寺の塔頭の「大光明寺」を。そうです 有馬頼底氏がお住まいの塔頭なのであります。このお寺は一見 入りにくそうですが、実は 小さな脇戸を開けて入ることが出来るのです。度胸はいりますが、皆様 お自由にお入りになれること この紙面で、お伝え致します。一度行って 覗いてみてください。          (会員 池田能久)




 
 
 

(49)東京の飯出会員から“ホット”な便り


 この「旅ペン関西部」ブログでは、西日本在住の会員の投稿を綴っていますが、東京在住の飯出敏夫会員から、“ホット”な便りが寄せられたので紹介します。

 飯出会員といえば、テレビの温泉番組などでもおなじみです。便りでは「私の温泉行脚の集大成にするべく、『温泉達人コレクション』のサイトを公開しました」とのことです。案内チラシは下記の通りです。
 
 私も「温コレ」で検索してサイトを見ました。ご覧になった方は、「いいゆ! をポチしてください」と、飯出会員からの希望であります(笑)。

 さて、今夜の飯出会員は、どこの温泉、湯舟でマッタリしていることやら~♨~♨  (会員 井上年央)

 

 

2016年12月14日水曜日

(48)台湾・鹿港老街(ル-カン ラオチェ)散策

 
 11月30日から12月3日まで、出張で台湾・鹿港に行ってきました。17世紀半ばの清朝初期に中国福建省から移り住んだ人々が築いた歴史ある港町です。

 港は土砂で埋まり廃港。九曲巷(チョウチ-シャン)と呼ばれるレンガ造りの細い路地を訪ねました。台中駅からタクシーで約1時間、「鹿港」に到着します。かつて台湾第2の都市でした。観光地ですが、交通の便が悪いので、日本人にはあまり知られていないようです。まずは、馬祖様の廟:鹿港天后宮(ル-カンテンホウコン)・・・台湾最古の馬祖像を祀っています。

 門の建物の天井は精巧な作りで有名、中は広い。本殿の馬祖は3体。

 
 
2階奥の建物が本殿

            お寺の内部通路
 
そして、この老街で歩くには狭い路地が・・・その中でも一番有名なのは「摸乳巷」由来は、胸に触れる小道と言う名前。

 
 
 
「鹿港玉渠宮」では、廟にミッキ-マウスやドラえもんのイラストが描かれていました。
 
 
 
 
 
不思議な世界でした。(会員 西條 繁)
 

 

2016年12月13日火曜日

(47)とっておき 雪の京都(3)雪降る 渡月橋から亀山公園を抜けて⑴

  数年前のこと。朝から雪、天気予報は 日中も雪が降り続くとの事。いかねばならぬ嵐山(らんざん)へ!!。8時前の嵐電は なんと乗客は二人だけ。こんな格好で大丈夫かなと思いつつ。渡月橋にも人まばら、川向こうの法輪寺も雪化粧。こうなったら雪の嵯峨野を強行突破とばかり人影もほとんどない大堰川沿いをカメラ片手に上流へと上る。銀世界の中で 和船が静かに休んでいる。船が 上流のお宿にお客様を迎えに行く。

何もかもが、冷たそう。歩きにくい公園を滑りながら登ると、そこは別世界の雪景色。何か水墨画の中いるような不思議な自分を感じつつ、展望台でしばし休憩。余りにもの静けさで、何か心細さを大の男が・・・。

 ここが京都かと思うぐらいの雪が頬を打つ。「負けないぞ、さあ行くぞ。雪の嵯峨を撮り尽くすぞ」と 気合を入れて。

雪にけむる太陽が、暖かく見守ってくれているから。だから前進あるのみだ。

                       (会員 池田能久)
 
 


 

2016年12月11日日曜日

(46)私の故郷のご当地ソング「♪ゲニゲニ高知」

  旅をしていて、「ご当地ソング」に出合う楽しみもありますね。 私の故郷の高知は、なんといっても、ペギー葉山さんの大ヒット曲「南国土佐を後にして」でしょうか。

 私は水辺の旅を通じて歌を作詞・作曲し、自分で歌っているのですが、今回、高知弁で歌にした「♪ゲニゲニ高知」という作品が誕生しました。12月6日から1週間、高知県庁で、朝のあいさつ代わりに流してくれています。歌う水中カメラマンとしては大変励みになっています。

 「ゲニ ゲニ」という高知弁は、「本当に 本当に」という意味です。高知県の自然を愛し豊かさを歌っていますが、環境を守る大切さも少しは訴えたつもりです。高知は、食、歴史、自然を柱に、観光客の増加は堅調です。ちょっと故郷便りでした。

(会員 高野弘)
 
 
 

2016年12月10日土曜日

(45)京都は鳴滝の「了徳寺」大根焚き

 京都の師走の風物詩の一つに「大根焚き」があります。大根焚きは元来、釈迦が悟りを開いたことを庶民が喜び、感謝する法要だそうです。

 毎年、千本釈迦堂がマスコミにもよく登場しますが、京都の北、鳴滝の真宗大谷派・了徳寺は、大根焚きの元祖ともいわれます。

 親鸞聖人が1252年、この地で念仏の教えを説いていました。村人が塩味で炊いた大根でもてなしたところ、聖人は大変喜びました。了徳寺の山門前には、「大根焚寺」の石柱もあります。今も、大きなおくどさんに薪をくべて、大根を炊いています。

 観光寺院ではありませんが、私は9日にお参りして、大根焚きと炊き込みご飯の「お斎(とき)」(志納金1600円)をいただいてきました。本堂でお説教も少し聞かせてもらって、来年は“無病息災”間違いなし!。  (会員 井上年央)





2016年12月9日金曜日

(44)とっておき 京に雪「上賀茂神社」

 何年前の京都だったかな。京都にしたら大雪の日、僕はまだ明けきらぬ薄暗い時間に家を出て 雪の賀茂川を目指していました。激しく降る雪の賀茂川へ出ると、その美しさに 感動。このままでは帰れません。一人 賀茂川を上流へ、上賀茂神社を目指します。少し歩くと雪が止み 少し歩くと猛吹雪 もう少し行くと晴れ上がり青空が広がります。30分ほど歩いて上賀茂神社についたら 雪をかぶった西側の木の高い部分にだけ朝日が注ぎその輝きの中 夢のような美しさ。早く起きて良かったという 充実感に ・・・・・。

                           (会員 池田能久)
 

 

2016年12月6日火曜日

(43)2016京都丹波観光プランコンテスト


 2016京都丹波観光プランコンテストが10月29日、京都府の亀岡市役所・市民ホールで開かれました。その結果が、京都府南丹振興局の商工労働観光室から届きました。

 3回目の開催で、高校生の部と、学生・専門学校生の部に、計5校7プランの応募がありました。審査委員長は近畿大学経営学部の高橋一夫教授が務め、グランプリ(京都府知事賞)は、高校生の部が、京都府立須知高校の「森で撮る物語」、大学生・専門学校生の部は、甲南女子大学の「京都丹波の名水で外国人もほろ酔い気分─京都丹波名水めぐり」でした。

 「森で撮る─」は、京丹波町の森という身近な資源を活かし、ターゲットをコスプレーヤーにしぼり、コスプレ撮影を楽しんでもらい、その収益を森林保全に充てるプランでした。

 「外国人でほろ酔い─」は、京都丹波の「酒蔵」を貸切タクシーで巡るという内容で、インバウンド誘客も意識したプランでした。

 今回は、机上でのプラン作成のみならず、SNSでのアンケート調査や現地にでかけて体験したり、実際にミニツアーを行って検証するなど、商品化の実現性を高めるものになっていました。   (会員 井上年央)
 

 

(42)広島の原爆ドーム・資料館訪問

 先日、久し振りに広島を訪問した。広島には数回行っているが、原爆ドームのみで、他は、太田川の源流である加計町へ、知人のセカンドハウスに数回と川下り、炭焼きに行った。今回は、私の専門分野の研究会が広島駅前で開催されたので、広島市内の夜と原爆ドーム、原爆資料館、広島城を訪問した。

原爆資料館は初めて。生々しさは71年前を再現するような展示と写真、館内の雰囲気が思わず当時にタイムスリップする。また、オバマ大統領のサインと折り鶴が展示されているが、訪問が遅きに感じる。それでも来られた意義は大きい。核を保有している国の長は是非、訪問して現実を見て欲しい。現実を知らなくて核拡散禁止条約がどうして締結ができるのか。また、訪問する外国人が多いのには、それだけ関心の深さを感じる。

日本人もどれだけ見学したかは知らないが是非訪問し核の悲惨さを感じて欲しい。前夜は名物の牡蠣フルコースを楽しみながら、改めて広島の偉大さを感じた一日だった。(会員 堀内義章)
 


 

 

2016年12月1日木曜日

(41)移民県沖縄の「第6回世界のウチナーンチュ大会」開催


 沖縄は全国有数の移民県。北米や南米、ハワイを中心に欧州など約40万人ものウチナーンチュ(沖縄県系人)が海外で暮らしています。

 このネットワークを深めるため、このほど世界26カ国約7000人を含めて本土・離島各地から開会式に1万3500人が参加、5日間にわたって歓迎交流会、空手やエイサーなど文化イベント、子どもたちの学習交流と多彩な催しが繰り広げられました。

 なかでも国際通りの「前夜祭パレード」では各国の民族衣装をまとった1世のお年寄りから5世の子どもたちまで歌い踊り、迎える沿道の人たちも“おかえりなさい”と拍手で大歓迎。そして離島など出身地に帰っては、お墓参りに“ルーツ探し”、など歓迎会の合間を縫って島の皆さんも協力、お互い絆を確かめ合い、5年先の再会(第7回大会)を約束して世界各地に戻っていかれました。

 大阪出身・那覇在住の私も7度の米国写真展で各地の沖縄県人会にお世話になった関係で、再会と感動の日々が続きました。(会員 大塚勝久)

    ※詳しくは下記の大塚勝久ホームページ「ブログ2」で。

                                                           http://shokyu-otsuka.com